夏になると、週末、鎌倉の海を訪れることが多い。学生時代、加山雄三先輩の映画を見過ぎたせいだろうか、海と陽焼けは男にとってマスト・アイテムという刷り込みがいつしかなされ、夏は海に行かないとどうも居心地が悪い。美白全盛の時代に陽焼けなどもってのほか、という意見も多いだろうが、南欧の夏を経験すると、皮膚にとっての健康はさておき、美白は必ずしもinternational standardではないと感じる。私は特にマリンスポーツをやるわけではない。ただ、潮の流れに身を任せ、波間に浮いているだけでもなんとも気持ちがいいものだ。そこそこ沖合まで出て、遠景から鎌倉の海岸や小坪の断崖を振り返ると、日本の海も風情があってなかなか捨てたものではないと思うのだが、これも、一貫教育校のプール授業の中で一定の泳力を授けていただいたおかげであると感謝している。
「塾生皆泳」という言葉がある。三田評論online 2016/08/08 新慶應義塾豆百科に体育研究所主事 黒田修生先生(当時)の寄稿があるが、塾生皆泳の歴史を知る上で興味深い。内容を抜粋してみよう。「塾生皆泳」が活字として残っているのは、『三田評論』1939年10月号で、当時の塾長、小泉信三先生の言葉として「塾生皆泳。これが私の当面の理想である。(中略)米国の大学に能く100ヤアドを泳がざる者に学士の称号を許さぬものあるは、決して故なき事ではない。慶應義塾々生よ、皆な泳げ。諸君が大なる善行を為すべき機会は、常に意外に近く諸君の身辺に待つのである。」と締めくくられているという。"大なる善行"とは、(溺水から)自分の身を守るため、そして溺れている人を助けられる力をつけることを意味し,その思いが「塾生皆泳」に込められていたと黒田先生は解説されている。
さて、お世話になった幼稚舎でもこの精神はしっかりと受け継がれ、現在も卒業までに1000m完泳の目標が生徒たちに課せられている。私が在校していた当時、いわゆる水泳教室に個人で通う生徒はごく少数であったため、多くの者は学校のプール授業の中で泳ぎを習得し、1000m完泳を目指すことになる。しかし、指導する教員は必ずしも水泳に精通した者とは限らないので、その指導内容には濃淡があり、私は比較的苦労したという記憶が残っている。それでも、何とか自分で工夫したり、夏季休暇中に実施される水泳講習会の場を利用して練習を積み重ね、5年生の時になんとか1000mを泳ぎ切った。自身の人生の中で「練習は不可能を可能にする」を初めて経験する機会となったのである。ところが、昨今の状況を見てみると、教育熱心なご家庭が増えたためだろうか、放課後や週末、あるいは幼児期から水泳教室に通うことが慣例化し、いざプール授業が始まってみると、デフォルトで1000m泳げる生徒がかなりの数いると聞く。自分にとって、練習が不可能を可能にしてくれた貴重な経験が、もはや練習しなくても可能になっているという状況は、喜ばしいような、でも、ちょっと残念な、複雑な気持ちで私は捉えていた。
たぶん、教員の中にも同じような思いを持つ方が多かったのだろう。2012年,幼稚舎では1000m完泳とは別建てで、館山見物海岸における遠泳(約2km)という新たな挑戦を始めた(対象6年生、希望者参加)。私もトライアスロンに出場した経験があるのでよくわかるが、海は波の畝りや潮の流れがあって、同じ距離や時間であってもプールとは別次元の負荷となる。それだけではない。陸の見えない水平線に向かって大海を泳ぐという経験は、小学生にとっては(一部の大人でも)計り知れない緊張感と不安を感じるに違いない。
もちろん、事故は絶対に避けなくてはならないので、学校側は実に入念な準備をして臨んでいる。私はスポーツ医学を専門とするが、競技会の安全管理は研究テーマの一つであることや、義塾のBLS(一次救命処置)教育にも携わっていることから、今年、視察に訪れる機会を得た。イベント安全管理で重要なことは、①救命にかかわる機材(AEDやレスキューボードなど)の確保 ②それを扱える人員の確保 ③後方支援病院を含めた有事手順(これを我々はemergency action planと呼ぶ)の策定 以上3点に尽きる。過去にオリンピックや世界選手権の安全管理に関わってきたが、大規模な大会であったとしても、この3つをしっかりと確保することは簡単なようで現場実装はかなり大変である。予算の関係で①が制限されたり、②についてはボランティアベースとなることが多いため拘束力が弱く、やりたいと手を挙げる人は多いものの、日程決めの段階になると「やはり、仕事を休めないので無理です」という声が多々出てくる。③は国民皆保険という制度もあって、優遇措置や例外的診療には後ろ向きな医療機関が少なくない。保護者からお子さんを預かり、学校行事として開催するイベントという性格上、当然、安全管理は最重要課題となるのだが、館山遠泳については,感心するほどよく練られた計画が準備されていた。卒業生を中心に社中内外から、医師、看護師、ライフセーバーの資格保有者が集まり、また、救護舟操縦は小型船舶操縦士免許を所持する卒業生が担当、これに教員ら現場のマネジメントスタッフが加わって、手厚い指導と管理が展開され、さらに至近には卒業生が運営にかかわる病院があって、受け入れ体制を整えてくれていた。まさにオール慶應体制で参加生徒を支える仕組みが構築されており、私の不安が邪推であったことを知った。ただのボランティア精神では説明できない、義塾の求心力の素晴らしさを目の当たりにしたのである。
どんなに入念な安全管理体制を作っても、スポーツに伴う偶発的事故(心臓突然死や外傷事故)を100%防げるわけではない。たしかに、リビングでスイカでも食べながらテレビを1日中見るという生活であれば、心臓突然死は起きにくいかもしれない。しかし、コロナ禍で"動かないことの弊害"を我々は多く学んだはずである。学校体育然り。安全管理のための準備をしっかりと行なった上で一定のリスクを容認しつつ実施する挑戦的イベントの試みは、冒頭の小泉塾長の目指すところにも馴染むものだと感じる。
幼稚舎の体育教育に長年携わってこられた鍬守篤麿先生(故人)が晩年、こんな話をして下さった。ちょうど、世間ではゆとり教育が議論され始めた頃だと記憶している。「横並び的考え方は潜在力を引き出せない恐れがある。幼稚舎生は運動能力の高い子供が多いから、成長期だからこそ高いところに照準を合わせ、さらに上を目指すことを大切にしてきた。水泳、スキー合宿、登山や野営、ラグビー等々。当時の初等教育では前衛的な試みもあったが、幼稚舎生だからこそ、ついてきてくれた。学校体育のあり方にもいろいろと意見があるようだが、幼稚舎体育はこれで良いように思う。」
共生が強調される今の時代、この上位互換的発想には議論があると想像するが、同校が大切にしてきた挑戦の姿勢は、乱暴な形ではなく、社中の協力を得ながら丁寧に、そして、しっかりと現場に継承されている光景を見ると,鍬守先生がおっしゃったように、これで良いように感じた。陽光きらめく波間を元気に泳ぐ幼稚舎生を眺め、清々しい気持ちで館山の海を後にした。