「100年の節目」の意味
今年9月1日で,関東大震災から100年を迎えた.節目の年ということで,例年以上に多くのメディアが関東大震災や首都直下地震について取り上げている.実は私は(おそらく他の多くの地震学者も),周年としてではなく,少し違った視点から「100年」という数字を捉えている.端的に結論だけ書くと 「いよいよ首都直下地震が切迫してきている」といったところである.
地震学的な説明
ここで簡単に,関東で起こる大地震についての地震学的な説明をしよう.「関東大震災」というのは地震によってもたらされた災害の名称で,地震そのものは「(大正の)関東地震」と呼ばれている.この「関東地震」は,関東平野とフィリピン海プレートとのプレート境界(相模トラフ)で起こるマグニチュード(以下,M)8前後の地震である(図1).プレート境界での地震は数十年から数百年の周期で繰り返し起こることが知られており,関東地震も例外ではない.1923年の大正の関東地震のひとつ前は1703年の元禄の関東地震であり,この差がおよそ200年,つまり,M8クラスの関東地震としては今がちょうど半分経過したあたり,ということになる.およそ200年周期の折り返し地点としての「100年」だ.
では,巷に聞く「首都直下地震」と「関東地震」とは何が違うのか.首都直下地震とは,「首都とその周辺地域の直下で起きるM7前後の地震と,上記の関東地震との総称」である.関東地震については,明確な場所と規模(相模トラフでM8前後)が定まっているのに対し,首都直下地震ではそれが曖昧となっている.つまり,東京で起きても,神奈川で起きても,千葉県東方沖で起きても,M7程度かそれ以上の規模であれば首都直下地震,ということになる.実際に内閣府では,震源モデルを様々な地点に想定して,何パターンもの被害想定を作成して公表している.
さてここで,「関東地震(M8前後)」と「M7前後の首都直下地震」の頻度について考えてみよう.一般にMが小さくなるほど頻度は高くなるため,M8前後の関東地震よりもはるかに高い確率でM7前後の首都直下地震が起こる.さらに,過去の関東地震の資料を遡ってみると,無視できない重要な情報が見えてきた.首都圏でのM7前後の地震は,M8前後の地震のサイクルの後半にかけて頻発しているのである.先述したとおり,現在はおよそ200年周期の折り返し地点,すなわち,「後半の始まり」にある.もうお察しだろう.これが,冒頭に述べた「いよいよ首都直下地震が切迫してきている」の内訳である.
もちろん,実際の周期が本当に200年なのかといった精度の問題や,本当に後半に頻発するのかといった資料の限界があるため,今年からぴったり後半に差し掛かった,と言えるわけではない.ただ,分かっている範囲での科学と歴史の知見を活かすなら,首都直下地震は起こると思って,すぐにも備えるべきである.
チームビルディングとしての防災訓練
ちょうど1年前のおかしら日記に書いたように,私の研究室では,学校や空港などの公的施設を対象に,発災直後の人々のようすを再現して,職員に対処してもらう「実動訓練」を行っている.具体的には,過去の地震災害で起きているさまざまなハプニングや傷病者を学生たちが演じて再現し,職員にはそれに対処してもらう.応急処置が必要なときもあれば,声がけによって落ち着かせたり,仲間を集めてけが人を搬送したりしなければならない時もある.停電していて,平時と同じ方法では意思疎通ができないという状況設定の中で,これらをこなさなければならない.
どこでどんなハプニングが起きるかは事前に伝えずに実施するため,これまで行ったほとんどの組織で情報が錯綜し,右往左往し,もはや誰も施設全体のどこで何が起きているのか把握していない状況に陥っている.災害発生時にこうなると,現場の対処者は,「誰かー!」と仲間の支援を求め続けるか,担架を我先に手に入れようとするか,状況から現実逃避してさして重要でないことに時間をかけてやり過ごすか,のいずれかとなるだろうし,本部人員は,「勝手に動くな!報告!」の連呼になるか,本部を離れて自分が現場を見に行ってしまうか,パニック状態で頭が真っ白,のいずれかとなるだろう.「災害が起きたら起きたで,その場でなんとかなるだろう」という考えは,通用しない.
一方で,停電時の意思疎通のあり方と搬送順位とを事前に話し合い,練習を重ねた組織は,こちらが再現する初めてのシチュエーションに対しても見事な動きをする.たとえばある小学校では,重症のけが人を発見した教員は応急処置を施しながら,大声で他の教員に支援を要請し,すぐに「レベル赤のけが人が東階段の3階踊り場にいます」と本部に伝えていた.本部には校内の他所からも次々と情報が入ってくるが,この学校では,軽微なけが人については一旦は報告せずに安全な場所で待機するルールとしているため,本部が情報過多に陥ることはなかった.担架の向かう先や,追加の支援人員の派遣先などについて,本部が学校全体を俯瞰しながら余裕をもって判断することができていた.
本部にこの余裕をもたらすのは,他でもない現場にいる教員が覚悟をもってけが人を引き受けていることにある.けが人を引き受ける覚悟は,応急処置などのスキルを高めたことと,必ず応援が来てくれるという仲間への信頼感とに裏打ちされている.そしてこのチームとしての信頼感は,過去の訓練で同僚と助け合った経験があってこそ生まれる.つまり,平時に行っている毎回の訓練を通して,普段からのチームビルディングを実現しているのだ.
ひるがえって,いま首都直下地震が起きたら,SFCはそのような組織として機能できるだろうか.あるいは,各キャンパスと三田本部(もしくは臨時に置く他所の本部)とは,災害の度合いや経過時間に応じた過不足ない情報共有ができるだろうか.自主性と主体性に優れた学生が多くいるSFCで,災害時の大学の対処のあり方として良きモデルケースを作り上げていきたい.どうか来るべきその日に,間に合いますように...