先日、金曜日夜の横浜、学事担当のみなさんと前研究科委員長の加藤さん、そして委員長補佐の2人が集まって、美味しいごはんとお酒で楽しい時間を過ごした。この9月末で研究科委員長を退任された加藤さんを囲んでの、文字通りお疲れさま会だ(私はこれからが本番だけど)。学事担当のみなさんが企画してくれた。今回のように大学院担当の教職員チームでごはんを囲むのは2度目。前回は大分制限が緩くなっていたとは言え、まだまだ気を抜けない中での開催だった。そういった気遣いも不要となった今回、同じく華金(古い?)の空気に盛り上がる周りのオトナたちに混じり、我々も大いに飲んで食べてはしゃいだ。
研究科委員長に就任するにあたって寄稿したあいさつ文の中でも触れたが、政策・メディア研究科が対象とする研究分野は、レガシーなカテゴリで「くくる」のは難しく、研究科委員の個性もまたバラエティに富む。諸々運営を担当する私たちのやることも多く、会議も多い。研究科委員会は毎月の開催、加えてプログラムチェア・学習指導の集まりが学期に2回の頻度で開催される。その都度、加藤さん、野中さんと私、そして担当部署の職員が某会議室に集まり、対面で、会議内容の打合せと事前確認を行ってきた。特に博士論文に関する申請は、付議する書類に不備がないよう、慎重にも慎重を重ねて多くの時間を割いて確認を行ってきた。
これだけ頻繁に顔を合わせているのだから、私たち教員と職員のみなさんの「かかわり」は自然と密になる。職員には異動があるので、私たち教員の任期中に惜しまれながら去る人もいれば、新たに加わってくれる人もいる。それでも、この2年間で培ってきた大学院担当教職員チームの絆は、他のチームにはない深さ、というか独特の味があった。他のキャンパスや他大学では目にすることができない関係性かもしれない。もちろん、仲がいいだけで仕事が進むわけではない。が、チームワークが良くて悪いことはない。ちなみに、教員の3人はまた別に、ときどき都内某エリアに集まって飲んでいたりする。
SFCの研究・教育そして運営のスタイルは、よく車の両輪に例えられる。研究・教育の両輪は、もちろん学生と教員だ。まさに慶應義塾の是である「半学・半教」を地でゆくスタイルとも言える。私のラボ(SFC Sociable Robots Lab.)の日常もそのまま半学・半教。私の軸足は情報とロボットであり、分野としては間違いなく工学(情報が工学なのか科学なのかについては、こちらで少し書いています(『塾』2014 SUMMER 談話室))。気を抜くとすぐに、工学寄りの議論になりがちだ。一方で、学生(らぼメン)の興味がより複合的な分野であったりすると、私の理解の及ばない領域での議論になることもあり、学生に教えを請うこともある。それはそれで悔しいので、ムキになって隠れて勉強したりもする。学生を経由して他キャンパスや他大学の先生と繋がることも多い。
そして、キャンパスの運営の両輪は教員と事務だ。教員と事務が一体となってコトに当たり、大学を盛り上げていく。私たちにとっては至極当たり前のことだが、このことをはっきりと謳っているキャンパスは、実は珍しいのかもしれない。学位を取得したあと、私はしばらく某国立大に席を置いていた。その頃も感じていたのだが、「職員は裏方で、教員の指示で動くもの」という意識は、いまでも多くの大学教員の間に根強くあるように思う。学会等で他大学の先生と話すとそのことを強く感じる。「ウチはこんな感じですよ」と話すと驚かれることも多い。前任校に赴任する際、私の着任と前後して別の大学に移った先生(研究室の先輩でもある)がこんなことを言っていた。
「事務と喧嘩していいことなんか何ひとつない」
その通りだ。
私の両親はふたりとも某大学の事務職だった。中学生の頃までは教職員宿舎に住んでいたし、こどもの頃の遊び場は大学のキャンパスだった(競馬場だけじゃないです)。家で飲む牛乳と言えば農学部で生産される「大学牛乳」だったし、秋になれば色々な農作物が食卓に並んだ。こども向け科学雑誌の付録に付いてきた薬品(リンゴ酸とか)が無くなれば、ガチな薬品瓶が家に届いた。試験管やビーカ等の実験器具も、謎に本格仕様のものが家に揃っていた(もうどこの大学かバレバレですね(笑))。周りにいるオトナは事務の人か大学教員だった。教員や学生とのやりとりが家の中で話題になることもあった。愚痴もあった。私にとって学位取得後に大学教員になることが自然な流れだったのも、そんな環境で育ったからだろう。それだけに、大学事務という業務の大変さも実体験として理解している。
SFCに教員として着任して間もなく、数名の若手教員と一緒に新しいカリキュラムのグランドデザインを担当する特命委員会に放り込まれた。会議には常に学部長も顔を出し、学事からもカリキュラム担当の数名が「自分ごと」として参加していた。委員会のメンバとは、数年に渡り多くの時間を一緒にキャンパスで過ごし、ときには夜ごはんを食べながら遅い時間まで議論した。特命委員会の中では教員と職員の分け隔ては無く、全てがフラットだった。それぞれの立場での責任を意識しつつ、一緒にゼロからカリキュラムを作った。綺麗ごとではなく、教員と事務が真に対等な立場でキャンパスを動かしていた。私がそんなSFCのスタイルに惚れたのは、この経験によるところが大きい。
これだけの人の集まりだ。ただの仲良し集団ではなく、教員と職員そして学生がお互いの研究内容や業務内容に敬意を払い、言いたいことを言いつつ、それぞれの立場と責任でコトに臨む。だからこそ、創設以来30年以上に渡って、他のキャンパスにはないSFCとしてのある種の独自性を維持できたのだろう。
政策・メディア研究科は2024年、開設30周年を迎える。
加藤さん、2期4年間お疲れさまでした。そして教職員のみなさん、これからの2年間よろしくお願いします。政策・メディア研究科委員であることを自慢できる、そんな研究科にしていきましょう。
P.S. 前回のおかしら日記(「かかわり」の時間)同様、この原稿を書いているタイミングで、今度はソダシ電撃引退のニュースが飛び込んできました。けど、2回連続はさすがに、と今回は踏みとどまりました。
高汐 一紀 大学院政策・メディア研究科委員長/環境情報学部教授 教員プロフィール