「博士号」ってやつは
しばしばこんな風に表現(揶揄?)される。
その心は?
【とらなきゃ、気になる】
でも
【とっても、食えない】
言い得て妙というか、なんと言うか、
実にブルースな現実だ。
せっかく志をもって始めたのだから、
博士号は是が非でもとりたいに決まってる。
でも、ただただ自分を律して研究に向き合うことって、とんでもなく難しい。
孤独だし、お金は欲しいし...
たまの気晴らしに社交の場に出たって、
「あの解析、どこか間違ってないかな?」
「査読結果いつ返ってくるかな?」
と、いつも研究のことが頭の片隅から離れない。
では、いざ博士号を取得したら、そんな憂いから解放されるのか?
そんなことはない。
なんといってもアカデミアにはポストが少ない。
コツコツと成果を積みあげながら、プレゼンスを上げていくしかないけれど、
どこまで積みあげたら「安定」に辿り着けるか、なんてわかったもんじゃない。
「研究が好き」という気持ちだけではサバイブできない現実がそこにはある。
おそらく読者の皆様方が想像されている何倍も、何十倍も、
博士人材の生きる道は厳しい。
でも、でもだ。
だからといって、お先真っ暗か?と言われりゃ、決してそんなことはない。
研究力を高めた先の未来をどう描くか?
その想像力と実行力が鍵を握っている。
SFCの院生たちは、
常に越境するマインドを叩き込まれ、
物事を「深める」だけじゃなく、「広げる」ことの重要性を
ごくごく当たり前に理解している(と思う)。
だからこそ、
社会の情勢や要求に応じて、活躍の場を無限に広げていくことができるし、
活躍の場がなければ作っちゃうことだってできる、
ボクは本気でそう思っている。
ボクは、この政策・メディア研究科を、
アカデミアの荒波なんてシカトで前進する力を備えた
「とったら食える米ツブ」が育つ、そんな環境にしたい。
政策・メディア研究科委員長補佐を拝命した、今のボク願いであり、目標である。
2年間どうぞよろしくお願いします。