前回の日記に続いてまたまた塾野球部の話題.東京六大学野球2023秋季リーグ戦において,大学野球部は10月30日に行われた対早稲田3回戦に見事勝利し,4季ぶり(六大学野球は春季,秋季の年2回開催されるのでこのような表現となる),通算,40回目の優勝を果たした.新型コロナウイルス蔓延に伴う様々な規制が実質的に解除され,これまで通りの応援が許可されたタイミングでの優勝決定戦となり,慶早戦3日間の応援席の熱量が,フィールドの選手たちの背中を押したことは間違いないだろう.最近の野球部の戦歴を見ると,意外に(失礼!)健闘しており,数年に一度は優勝を勝ち取っている."意外に"と申し上げたのは私にとってはそれなりに理由がある.私が幼稚舎に入学した昭和44年(1969年),父に連れられて初めて神宮球場の慶早戦を観戦した.陸軍士官学校を経験した後,塾医学部に進んだ父からは一緒に入る風呂の中で,同期の櫻,愛国行進曲,(なぜか)予科練の歌などを教わるのが常だったが,これら戦時中の歌とともに叩き込まれたの"若き血"だった.だから,私は初めて観戦した慶早戦の応援席で,應援指導部のお兄さん,お姉さんとともに何の違和感もなく若き血を歌ったことを覚えている.当時の塾野球部は松下勝実さん,山下大輔さんの好打者を揃え,これに好投手荻野友康さんの活躍もあって,1971年から1972年にかけて3季連続の優勝を果たした.しかし,ここから氷河期が始まる.以降,24季12年間全く優勝はなく,この間,2回の最下位を経験している.個人成績では傑出した選手はあったものの,チームとしては成果が出ず,応援に行けども行けども勝てない状況が続いていた.そして神宮応援を共にした同期たちのほとんどは,塾野球部が優勝する姿をみることなく1985年3月をもって卒業した.
しかし,皮肉なことに1985年に潮目が大きく変わる.仲澤,志村,石井,遠藤ら桐蔭学園出身の選手たちが活躍し,野球部は12年間の沈黙から覚醒,なんと,無敗での全勝優勝を遂げた.無敗優勝は昭和3年以来の57年ぶり.ブルー・レッド・ブルーにデザインされたストッキングに入る一筋の白線は昭和3年の全勝優勝を機に入れられたものだが,1985年の優勝を受けて,そこにもう一筋の白線が入ることになった.ちなみに1985年度はスポーツ界全体でも歴史残る出来事が起きた年であり,プロ野球では岡田,掛布,バースを擁した阪神タイガースが21年ぶりにリーグ優勝を果たし,多くのファンが道頓堀川に飛び込んだ.そしてラグビーでは塾蹴球部が日本選手権において社会人代表のトヨタ自動車を破り,日本一を達成した.当時,スクラムハーフとして活躍した同期の生田久貴(現・株式会社ミクニCEO)は本来,卒業しているはずの代なのに学業の調子が出なかったことから,なぜかこの試合にも出場し,結果として全国制覇の美酒を味わった.生田曰く,「5年間大学にいたのはチームの作戦だった」らしいが,理由はさておき,大学に長く居るといいこともあるようだ.実際,私は医学部で6年間の学生生活を送ったおかげで,塾内で起きた歴史的瞬間を,実体験して共にすることができたのである.
話を六大学野球に戻そう.今回の優勝は想定内のものではなく,リーグ戦開始前に堀井監督が語っていたように,プロ野球に進んだ3名を含む前4年生が抜けた後からのチーム作りはいろいろと苦労があったようだ.しかし,薄氷を踏みながらチームは粘り強く戦い,勝ち点を積み重ね,いよいよ優勝のかかった慶早戦を迎えることになる.1回戦は競合いの結果のサヨナラ負け.氷河期の経験から私はこのような事態には慣れており,"ああ,今回もダメか..."とネガティブ発想が頭をよぎる.しかし,このチームは違っていた.2回戦は竹内君の好投,上田君の好守備など,二人の1年生が躍動し,最後は前日サヨナラ打を浴びた谷村君が見事に9回を締め慶應は息を吹き返す.上げ潮ムードの中気になっていたのは廣瀬主将の不振である.ドラフトでソフトバンクからの指名も受けた長距離打者だが,秋季はなかなか調子が出ず,それまでホームランはまだ1本.打席では厳しいところを攻められ,本体のスイングをさせてもらえないように見えた.私がその不安を口にすると,應援指導部の部員たち,特に同級生の4年生は即座に,「大丈夫です.廣瀬は必ずやってくれます」と口を揃える.その予言通り,3回戦では廣瀬君は見事覚醒し,試合序盤,打った瞬間にホームランとわかる快打を塾生・塾員で埋まる左翼席に叩き込んだ.本人はもとより,ベンチの選手や應援指導部の部員たち,そして,応援席の塾生たちが自分ごとのように,苦悩してきた廣瀬君を祝福する姿を見て,この試合は慶應のものだと確信した.
私は同じようなシーンを過去に見たことがある.1989年,巨人対近鉄の日本シリーズ,巨人は初戦から3連敗し瞬く間に追い込まれた.ブレーキとなったのは主砲,原辰徳選手の不振.ホームランどころか安打すら出ない.巨人が1勝返して迎えた第5戦,前打者が敬遠されるという屈辱的な状況で満塁となり原選手が打席に立った.2ストライクと追い込まれ,映像から見る原選手の顔は険しい.しかし,近鉄・吉井投手が投じた6球目,フルスイングした打球は高々と舞い上がり,巨人ファンで埋め尽くされた左翼席に吸い込まれた.何度も両手を突き上げダイヤモンドを1周する原選手.私は同軍のチームドクターとして原さんとは長い交流があるが,彼があれほどまでに感情を表に出したことは後にも先にも見たことがない.選手たちは全員がベンチから飛び出し,学生野球のさながらに原さんを祝福した(この群衆の中には藤田元司監督(故人),上田和明,2名の塾出身者がいた).これで勢いに乗った巨人軍は3連敗後,破竹の4連勝を遂げて日本シリーズを制したのである.
慶應義塾然り,廣瀬君のホームランで押せ押せムードになったチームは確実に加点して主導権を握り,守備では数々のファインプレーも飛び出し,早稲田を退けて六大学リーグ戦を制した.試合後,応援席で行われた優勝セレモニーで演台に上がった伊藤塾長は野球部員たちと肩を組み,塾生・塾員らと共に"丘の上"を声高らかに歌い,体育会担当の山内常任理事は自ら"塾生注目!"を披露した.まさに"慶應スポーツここにあり"の瞬間であった.塾高野球の甲子園も含め,応援席におけるこの高揚感と熱気が生まれるのは,皆の心がひとつになる伝統の応援歌とカレッジソング,それを継承する應援指導部,そして何より,応援席に駆けつけた一人ひとりが,義塾の一員であるという誇りを互いに共有できる空間だからだと私は考える.来週にはパレードと優勝祝賀会も予定されていると聞く.残念ながら今回はコロナ前とは形を異にするようだが,三田・山食に貼られた多くの写真に見るような熱気を,多くの塾生が再び体験できる日が来ることを熱望する.そう,生田が言った大学に長く居る作戦は,意図的であってはちょっと困るのだが,期せずして,かけがいのない想い出づくりにつながることがあるのかもしれない.