3月下旬から4月にかけて,ラトビアの首都リガにしばらく滞在した.同地で開催されたアイスホッケー世界選手権の医事統括責任者(medical supervisor)として仕事である.専門とするスポーツ医学のつながりで,私は20年以上前から国際アイスホッケー連盟の医事委員を務めており,このような国際大会の医事安全管理の仕事を定期的に任されている.同職にある東洋人は私一人であり,当初はいろいろと苦労も多かった.アイスホッケーというと北米のイメージが強いが,同競技は欧州,北欧,旧ソ連圏をはじめ,世界の各地域で国内リーグも盛んであり,それを統括する国際アイスホッケー連盟はスイスに本部がある.歴代会長も欧州出身者が多く,現会長のLuc Tardifはフランス人.一応,英語が公用語であるものの,多彩な構成メンバーの特性から現場では欧州の各言語が飛び交っている.私は決して語学堪能ではないが,思春期の頃,「エマニエル夫人」を見過ぎて習得したフランス語が役立ち,欧州人とも上手くコミュニケーションを図りながら連盟ファミリーとして受け入れていただいているのだ.
「先生,アイスホッケーの試合観戦,楽しんできてください!」.一部の学生や教員はこう言って送り出してくれたが,観客として見るわけではないので楽しむどころか日々,冷や汗ものであった.ご存知のようにアイスホッケーは激しいコンタクトスポーツ.一瞬の出来事で大怪我が発生する.自分がプレーしている時は全く気にならないが,いざ,安全管理の立場で観戦するとなると,こんなもの,危なっかしくて見ていられない.有事の対応を現地医事チームと行うのだが,起きてからの対応もさることながら,起きることを想定した対応策を準備すること(これをemergency action plan: EAPという)が何より重要となる.医療事情はそれぞれのお国柄で異なるので,そこを加味しつつ現地スタッフとEAPを策定することは簡単ではない. 公式戦15試合+公式練習全てを注視し,有事のEAPに備えなくてはいけないので,なかなか神経の擦り減る仕事なのだ.プランは万全でも,いざ救急車に乗ってみると救急車が旧式すぎて揺れが激しく,病院に着いた時,選手は怪我よりも車に酔ってさらに体調が悪くなったという経験もあり(チェコでの思い出),実際,何が起きるのかわからない.良し悪しは別として最近はそういうことも楽しめるようになって来た(笑).
ところで,ラトビアは日本にとって馴染みが薄い国であるが,現地の人に聞いてみると,たぶん,ラトビア発で最も日本に知られているのは「百万本のバラ」だろうと言う.私も好きな歌なので少し驚いた(同曲は加藤登紀子さんの歌唱が有名だが,個人的には久米小百合(久保田早紀)さんの歌を是非聞いていただきたい).日本語詞は女優に恋をした貧乏画家が家を売り,そのお金で,ありったけのバラを買い,彼女を包みたいという思いを綴ったものだ.それはそれで素敵な歌詞なのだが,ラトビアの原曲は異なり,国民なら知らない人はいない同国の"子守唄"とのこと.女神マーラが子供に与えた人生 という内容で,その人生は必ずしも幸せなものではなく,マーラは命を授けてくださったが,幸せを与えるのは忘れたのだろうか...そんな意味らしい.当時,ソ連下にあった同国では様々な形で抑圧を受けており,その気持ちを暗に歌に込めたものだと現地の方は話してくれた.マニフェストだけではなく,自由な教育を受けることや他国の情報を得ることもかなり規制されていたようで,ソ連統治下にあったことで自国の発展はポーランドやハンガリーなど旧東側諸国よりさらに遅れたと口を揃える.そのようは背景もあってか,彼ら/彼女らは自分たちの現在の地政学的位置づけは旧ソ連ではなく北ヨーロッパ諸国の一員であるという意識が強い.
また,海外の情報や文化に対する学びの意識もひじょうに高く,そのハブとなっているのがネットと図書館だという.実際,現地のネット環境は素晴らしく整っており,どこに行ってもネットへのアクセスには苦労せず,かつ,高速であった.2014年に開業した新国立図書館(写真1)も壮大で,今回,縁あって現地知人に中を案内いただく機会を得た.巨大な前衛的外観だけでなく,内部も前衛的かつ壮大であり,世界中から集められた本が各フロアに整然と蔵書されている.日本に関する書架も閲覧させていただいたが,なんと,慶應義塾大学出版会からも多くの寄贈があり,担当職員からは感謝の言葉をいただいた.そこには総合政策学部加茂具樹学部長らが執筆された書籍も見つけることができた(写真2).アジア事情も含め海外のことを知りたい,学びたい,そんな意識がこの壮大な国立図書館を建立する原動力になったことは間違いない.
そのような経験をもって帰国し,わが大学院の新入生にこんな話をしてみた.1945年日本は初めて戦争に負けた.しかし,その後,約80年間,我が国は戦争も内戦もなく,平和な日々の中で我々は暮らすことができている.もちろん,それは素晴らしいことだし,自分も含め,これを当たり前と感じてしまっているが,海外に行ってみると,我々の当たり前は彼ら/彼女らの当たり前ではない,あるいは当たり前ではなかったことに気づく.政府や宗教的理由で女性が自由な服装をしたり,自由に教育を受けられない国もあったし,まだ,その制度が残存する国は世界に少なからずある.ある映画(「パピチャ」ムニア・メドゥール監督)では,内戦によって弾圧された若者たちにとって,これから逃れるには海外に脱出するしかない,だから国全体が脱出を待つ待機室になっていると主人公が吐露する場面があるが,いろいろな国を訪れてみると,それが心からの叫びであることを知るに至る.翻って,我が国の,そして慶應義塾の教学環境はthe bestではないかもしれないが,少なくとも皆さんの知的興味に応える環境は整っているし,我々教員もそれを全力でサポートする. Chat GPTなどすぐに答え(らしいもの)を出してくれるツールも出現もしているが,慶應義塾の生命線は"半学半教"や"多事争論"であり,学び続けることの大切さを"学問のすすめ 十五編"の引用をもって説明した.
つい先日,最終回を迎えたTBSドラマ「不適切にもほどがある」ではないが,福澤先生が令和にタイムスリップして来て,もし,"書物を読まずChat GPT","多事争論よりSNS","三田会よりもマッチングアプリ",このような塾生を見たならば,「こんな未来のために私は慶應義塾をつくったのではない!」と嘆かれるに違いない.私も定年まであと数年だが,このような時代だからこそ,福澤先生が門下生たちに託した志を再確認し,それを塾生たちに伝え続けなくてはいけないと強く感じている.