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2024.06.25

大学のグローバル化と国際化|常任理事/政策・メディア研究科教授 土屋 大洋

「グローバリゼーション」という言葉を何気なく使った時、話し相手の英国人の先生に「そんな言葉、使っちゃダメよ。インターナショナリゼーションよ」と指摘された。話の流れで、その意味の違いを突っ込んで聞くことはできなかった。しかし、なんとなく気になっていた。

そうしたら二冊の本に出会った。両方ともグローバリゼーションを主題にしている本ではなく、たまたま読んでいたらグローバリゼーションについて言及していたに過ぎない。最初の本は、グローバリゼーションとは植民地主義の言い換えで、欧米の文明をその他の地域に持ち込んで定着させることであると指摘していた。

もう一冊はもっと辛辣で、グローバリゼーションとは欧米的なもののデッドコピーを作ることだと指摘していた。

それに対し、インターナショナリゼーション(国際化)とは、二つ以上の国の間でそれぞれを尊重しながら交流するという意味になるようだ。だから、「大学のグローバル化」は欧米の大学の真似をすることであり、「大学の国際化」はそれぞれの国の大学のやり方を尊重しながら交流するということになる。

国際化の方がやや古めかしい響きがするようでもあるが、大学の国際化の方が望ましいことではあるだろう。

慶應義塾の発祥は蘭学や英学にあるのだから、どちらかといえば、慶應義塾は日本のグローバル化を志向していたとも言えるだろう。ほとんどの人が外国に行ったことがなかった19世紀の後半に3回も海外に行くことができた福澤諭吉の視点からは、日本の独立を維持するために欧米的なるものを取り入れることは必然であった。思想的に福澤は日本の封建制度を嫌い、いわば「西洋かぶれ」であったのかもしれない。しかし、いち早く武士の身分を捨てた福澤も、晩年は和服を好んでおり、日本を欧米のデッドコピーにしようとしていたわけではない。

ちなみに、現在の慶應義塾の入学式や卒業式で飾られる福沢諭吉の肖像は、背広ではなく和服の着流しだ。もうすぐ入れ替わってしまう一万円札の肖像も和服である(次の一万円札に印刷される渋沢栄一は背広姿だ)。

6月末にAPRU(環太平洋大学協会)の年次学長会議が開かれる。今年の開催地はニュージーランドのオークランドだ。APRUにおいて欧米的な国は、米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドだろう。しかし、APRUの事務局は香港にあり、APRUには太平洋を囲む18の国・地域から61の大学が参加しており、実に多様だ。使う言語は英語だが、いろいろなアクセントの英語が飛び交う。

欧米の国々の大学は、ガザ問題をめぐって揺れている。ある欧州の大学の学長が三田キャンパスへいらしたとき、「ずいぶん静かですね」とおっしゃった。学内で学生によるデモがなく、テントも張られていないからだ。

各種の世界大学ランキングは、数千の世界の大学を序列化する試みだが、実態を反映していないという批判も根強い。多様性こそ大学の存在意義であり、欧米の大学のデッドコピーの追求は、日本にある大学の取るべき戦略ではないだろう。国際と情報基盤(IT)というグローバリゼーションに密接な課題を担当する常任理事の悩みは深い。

土屋大洋 常任理事/政策・メディア研究科 教授 教員プロフィール