9月20日から約3日間にわたって続いた日本海側の記録的な豪雨により能登半島で数多くの洪水と土砂災害が発生した。まず、被害に遭われた皆さんに心よりお悔やみとお見舞いを申し上げたい。1月1日に発生した能登半島地震は未だ人々の記憶に新しく、これから復興という矢先の災害となってしまった。
実はその1週間前の9月13日から16日にかけて、私は地震発生後初めて能登半島の被災地を訪れていた。地震被災地が今回の豪雨で再度災害に見舞われたのは個人的にも衝撃的であった。今回の訪問は、私が今年の4月まで会長を務めた農村計画学会の災害対応委員会のメンバーに同行させていただいたものであった。1月1日の地震発災からすぐに委員会のメンバーや学会役員を中心に情報収集し、石川県内の会員とも情報交換をしてきたが、今回の地震では道路が大きな被害を受け、被災地へのアクセスが限られていた。ボランティアの受入すら難しかったのは多くの報道にあった通りで、学会としても外部から調査に入ることには慎重になっていた。初めて災害対応委員会が現地に入ったのは3月下旬であったが、私は残念ながらそれには同行できなかった。
地震から8ヶ月以上が経ってようやく被災地を訪れる機会を得た。今回私たちが訪問したのは、穴水町、輪島市中心部、三井町、門前町、白米町などであった。のと里山空港を起点として現地入りしたが、主要幹線道路は通行できるものの地震により路面に段差が生じていたり、崩壊箇所を応急的に復旧していたりという状況であった。また、沿道の集落には、全壊、半壊の建物がそのまま残されていた。地域でのヒアリングによるとようやく公費解体が始まったところだということであった。奥能登は黒瓦が葺かれた美しい民家の家並みが特徴的であったが、集落によっては8割は解体になるだろうということだった。
輪島市白米町に位置する白米千枚田は、国指定文化財名勝に指定されている棚田で、地震前は多くの観光客が訪れていた。地震により水路や法面が被害を受けたが、今年は千枚あまりある水田のうちなんとか120枚で収穫ができたそうだ。もっとも集落も大きな被害を受け、家の再建もままならないのに千枚田の景観を守るために多大な苦労を経て作付けが実現した。そのようなお話しをうかがったばかりだったが、再び棚田に大きな被害を受けてしまった。訪問の際に復興に向けた意見交換をしたところだったので、土砂災害のため一時は孤立していた集落の状況を伺うと本当に心が痛む。被災地へは再度の訪問を計画しているところであるが、少しでもお役に立てればと思っている。