学部長や常任理事をやって正直困ることの一つ(たくさんあるものの)が、挨拶である。「おはようございます」や「お疲れさまです」といった挨拶は負担にならないが、行事で「一言挨拶を」と言われると気が重い。本当に一言で「こんにちは」で終わって良ければ良いが、そんなことをしたら「もうちょっと」と言われるだろう。
自分が頼む側だった時には、確かに学部長や常任理事に挨拶をたくさん頼んできた。その場合、何か特別に言って欲しいことがあったわけではない。そこに来て何か言ってくれれば、行事の形が整うという程度だった気がする。そこで誰かが何かを言っていたことが記憶に残っているということはない(すみません)。
そう考えれば、自分が挨拶を求められた時にも、気楽にやれば良いのだが、多少何かを言わなければならない。留学生や海外からのゲストの場合には、福澤先生の一万円札をよく使わせてもらった。ポケットから一万円札を出して、「これが慶應義塾の創立者です」と言うと、驚く外国の方は多い。そうしたところ、7月に渋沢栄一の肖像に変わってしまったのは大変痛い。私の任期が終わるまではそのままでいて欲しかった。
とはいえ、近頃は日本に来てもクレジットカードで全部済ませてしまって、両替しないというケースも多いので、海外のお客さんの財布の中に一万円札が入っていることは少なくなりつつある。
昨年末ぐらいからはもう破れかぶれで「デザインが変わってもいいんです。日本もようやくキャッシュレス社会になるんです」と負け惜しみを言っていた。そのうち、「日本もSDGsに力を入れていて、古紙リサイクルも頑張っています。いらない一万円札があったら慶應義塾で回収します!」とも何度か言った。一枚ももらったことはない。
挨拶ネタが一つ減ってしまったのは痛い。というか、繰り返し使えるネタは他にない。「生成AIに挨拶原稿を作ってもらいました」という話も世界中で何千回と繰り返されている気がするので、今更感がある。しばらくは、「2024年7月まで使われていた一万円札というのがあってですね......」と続ける気がする。挨拶が苦手である。